人生を掛けて叶えたい、たった一つの願い
(西東京市の自宅スタジオ)
初めまして。maururu~マルル~ピラティス&コンディショニングスタジオの的場早条です。私は、理学療法士とピラティスのインストラクターの資格があり、自宅一軒家の1階で、個人事業主としてスタジオを運営しています。
(理学療法士は3年制専門学校+国家試験、ピラティスは約1年の養成コース+試験で修得)
【所有国家資格等】
☆理学療法系
・理学療法士(国家資格)
・運動器系体表解剖セミナー修了
・日本ペインリリース研究会中級下肢コース認定
・入谷式足底板 初級・中級 (Makoto Iritani)
・全国・九州での研究・学会発表も行いました。(肩関節・膝関節・投球障害など)
☆ピラティス
・コアインテリジェンス(Marie Jose Blom-Lawrence)
・ピラティスリーダーシップコンセプト(以下、PLC)マット(Norie Tedaka)
・PLCモジュール1~4:初級・中級・上級・チェア(Marie Jose Blom-Lawrence)
・産前産後のためのフュージョンピラティス(Jennifer Gianni)
・腹直筋離開ケア(Jennifer Gianni)
☆筋膜調整
・ばね指・腱鞘炎筋膜ケアセラピスト養成コース修了(TRIGGER/Manabu Handa)
・顎関節症改善筋膜ケア修了(TRIGGER/Marco Pintucci)
・尿失禁ケアセラピスト養成コース(TRIGGER/Hitomi Handa)
・JMF自律神経症状ケアセラピスト養成コース(TRIGGER/Yuichi Nakamura)など
私には、人生をかけて叶えたい、たった一つの願いがあります。
それは、
「慢性痛ゼロの社会」と
「女性セラピストが、どのライフステージでも、好きな臨床をイキイキと続けられる社会」の実現 です。
「慢性痛ゼロ」には、痛みを取り切る(VAS0/10)と、痛む方が0人になることの両方の意味が込められています。少しの痛みも私は嫌です。「そう言えば、もう気にならなくなってますー!!」と目を輝かせて言ってくださることを目標にしています。
そのために、『筋膜調整×施術×ピラティス』で根本からアプローチし、本当にやりたいことを諦めずに、笑顔あふれる豊かな人生を歩んでいただくサポートを、”確実に・真摯に・どこまでも”とことんさせて頂いています。
でも、私一人では限界があります。 慢性痛ゼロの社会を実現するには、同じ志を持ったセラピストが必要です。 だからこそ、慢性痛改善に特化した【慢性痛根本改善セラピスト養成講座】を立ち上げました。
そして、病院内外の様々な制約の中で、かつての私のように「開業したい」と思う時も来るでしょう。そんな時は、私自身が福岡市・練馬区・西東京市の3か所でゼロから開業した経験をもとに、【リスクゼロから始める自宅スタジオ・サロン開業講座】でしっかりとサポートをさせて頂きます。
「仕事も、家庭も、自分時間も、ぜ〜んぶ楽しみながらやり切る人生」
そんな未来を、あなたと一緒に歩んでいけたら最高に嬉しいです。
あなたの残りの人生、何に使い切りたいですか?♪
普通の自宅一軒家スタジオが満席に
(自宅玄関前)
当スタジオは、閑静な住宅街にある自宅一軒家の1階。約12畳のお部屋に、治療ベッドとピラティスマシンを置いています。
(スタジオ風景)
交通の便も良くなく、普通の家で狭いスペース。だけど、有り難いことに、地域の方中心に多くの客様がお越しくださっています。
集客は、一度チラシを配布した後は、ホームページを自分でマイペースに運営。ホームページに繋がるブログやSNS(Instgram・Facebook)も、どうしても書きたい!という衝動がある時だけ(月に約1~2回)しか投稿しないという、おさぼり運営ですが、有り難いことに約2半満席状態。
子供を出産してからは、お一人80分のセッションを最大3枠までに減らし、週3~4日の9:30~15:30、又は10:00~16:30でゆっくり営業。お一人毎の間は30分間空け、カルテ書きや次の方の準備も丁寧に行っています。お昼休憩も1時間半近く頂いて、合間に自分のケアや家事も少し行っています。
家庭と好きな臨床、自分時間、勉強時間もある時間設定にしていることで、私の元気エネルギーをお客様へ沢山お届けできているのだと思います。
収入も病院勤務フルタイム時代よりも安定し、家族旅行やピラティスマシンの購入、高額な研修費、電動治療ベッド購入、最近はポータブルエコーも購入し、お金を循環させながら、家族の時間と、やりたい臨床を突き詰める事をさせて頂けています。
大好きな空間で、大好きなお客様に、私の生きがいである臨床をとことんご提供させていただく。誰にも気兼ねせず、お客様のためだけに集中できるこの時間こそ幸せで、開業して本当に良かったと感謝の気持ちで一杯の日々です。
(症状の改善でお喜び頂けて私も嬉しい!!お客様の声はこちら)
慢性痛ゼロにこだわるきっかけ―痛みに苦しんだ高校陸上部時代
(高校最後の試合。涙も出ないほどの虚しさと、ほんの少しの安堵感を初めて感じた日)
私は小さい頃から走ることが大好きで、運動会ではいつもリレー選手に選ばれていました。
中学では陸上部に入り、部員中心で活動していたにも関わらず、自分たちの努力が形になった経験が自信になりました。
(中学陸上部の中体連で団体総合3位に入賞。キャプテンだった私は100メートル走で県大会へ)
ところが、高校では状況が一変。 推薦で入った高校の陸上部は、中学全国1位の顧問のもと、全国レベルの選手も引き抜かれて何人もいました。そんな中で、私は一生懸命に練習し、絶頂期を迎えた頃、突然の疲労骨折。そして、そこからが地獄の始まりでした。
疲労骨折で走れない間は、とにかく筋肉をつけたら強くなれると思い込んでいて、全身の筋力トレーニングに励みました。”復帰したら、ケガする前よりも速く走れる!”と信じて…
ところが、再び走り始めた矢先、今度は足底に激しく鋭い痛みが走りました。
(体の使い方や、インナーマッスルを無視した無理な筋トレが、更なる痛みを生んだのです。そうとも知らず、引退するまでひたすら筋トレし続けてた…残念無念。)
病院では足底筋膜炎と診断され、処方されたのはアイシングやストレッチ、マッサージだけ。その他の病院のリハビリ・鍼灸・カイロ、整体、様々な所に行きましたが、何をしても痛みが変わらず、他の選手との差に焦りと絶望でいっぱいでした。
そんな時、父が連れて行ってくれた一人の治療家に出会いました。まさかの“手への施術”で、私の足底の激痛をその場で消してくれたのです。
「え…なにこれ?痛くない…!」
狐につままれたような感覚。でも、その時の感動と希望は、今もはっきりと覚えています。 今思えば、その手法は筋膜調整だったのだと思います。
足底の痛みが引いたことで、ようやくまた走れる!と喜んだのも束の間、今度は腰、しばらくして膝、股関節にも痛みが出てきました。ようやく走れるようになったと思ったのに、また別の痛みが現れて立ち止まらざるを得ない。
「なんで私だけ、こんなに痛いところが増えていくんだろう…」
痛みで満足に練習できない自分に苛立ち、焦り、どうしようもないもどかしさでいっぱいになっていきました。病院に行ってもレントゲン上問題ないと言われ、再びアイシング・ストレッチ、筋トレ指導を受けるだけ。
全力疾走して練習に励む同級生があまりにも眩しくて、一人で筋トレ部屋に逃げ込み、やっても改善しない筋トレをただひたすらやり続けるしかありませんでした。まるで出口のない暗いトンネルに一人で居る気持ちで、次第に心が蝕まれていきました。
その精神的ストレスから、気づけば慢性的な便秘に悩まされるようになり、腰の痛みで眠れず、睡眠不足も続く。次第に自律神経のバランスも大きく崩れ、ストレッチをしてもまったく緩まないガチガチの身体になり、冷えも強くなっていくばかり。
「なんで痛みが取れないんだ」「なんで私の身体はこんなに硬いんだ」と、自分を責めてばかりいました。(今思えば、間違った筋トレに加え、自律神経が乱れることで筋肉の緊張が解けず、内臓機能も低下して悪循環に陥っていたのです。)
ずっと痛みを抱えながら、ただ耐えるだけの日々。痛みは目に見えないからこそ誰にも分かってもらえない。そう思い込み、自分の気持ちを誰にも話せず、部活でもクラスでも心から笑えない毎日。
本当は、仲間と全力で走り切りたかった。友人と心から笑い合って青春を謳歌したかった。もう二度と戻らない青春…
最後の試合でリレーに出場させてくれたメンバーに心から感謝をしながら、一方で、力を出し切れなかった悔しさは、今でも胸に深く残っています。
でもこの経験が、私の中に強い想いを芽生えさせました。
「痛みのせいで、やりたいことを思う存分出来ずに苦しんでいる人の助けとなりたい!!」
その想いで、私は理学療法士の道を選びました。
理学療法士としての覚悟と苦悩、そして在り方へ
(整形外科病院外来リハビリチームの集合写真。必死にもがき苦しんでいた頃)
「私は、患者様の当たりくじになる!絶対に患者様を良くする!!」──その一心で、整形外科の病院に勤め、毎日全力でリハビリに向き合ってきました。
けれど、現実は想像以上に厳しく、少し良くなったと感じても、完全に改善するまでには至らず、
途中で通院をやめてしまう方も多く、次第に苦しみとともに、迷いや焦りが募っていきました。
そんな中、ある患者様の肩の痛みに対して、私の施術で逆に悪化させてしまった経験がありました。肩の手術後の入院患者さんのリハビリでのことです。
肩のインナーマッスルの硬さがなかなか取れず、何とか改善したくてマッサージを必死に行いました。自主トレも沢山お願いし、患者様も一生懸命に取り組んでくださいました。
それなのに──結果は悪化。
先輩のサポートもお借りして回復されましたが、私は深い無力感と申し訳なさでいっぱいになり、眠れない夜と、朝は歯ぎしりの頭痛で目覚める毎日。
「患者様のお体を悪くしてしまった…私は理学療法士として存在価値がない」
苦しくて、どうしていいかわからない日々…。
どうしたら目の前の方を、根本から良くできるのだろう。 私は、自分の中で何度も何度も繰り返し問い続け、藁をもすがる思いであらゆる研修会に通い続けました。
そんなとき、転機となったのは、“肩で有名なゴッドハンド”による理学療法士向け1年講座への参加でした。そこで学んだのは、技術や手技の話はほとんどなく、「セラピストとしての在り方」でした。
(理学療法士としての在り方を教えてくれた、山口光圀先生。この出会いがなければ、今の私はいません)
先生はこう言いました。
「硬い筋肉や痛みを、悪者にしてはいけない。それは、体を守ろうとしているのかもしれない。」
「身体から起きている現象に“良い”・“悪い”はない。どう受け取っているのか、自分の思考のくせに気付くことが大切だ。」
私はハッとしました。
私が触れる筋肉は、それまで悪者扱いしていた場所ばかりでした。「ここが原因だ」「ここをゆるめれば改善するはず」と思い込んで自分の“治したい”という思いをぶつけていたことに、ようやく気づいたのです。
それから私は、患者様の筋肉に「守ってくれてありがとう。」と語りかけるように手を添え、全身の中から原因を探っていくと、まるで応えるかのように、筋肉がふわっとやわらかく緩む瞬間がありました。 それは、力任せにほぐしていた頃には決して得られなかった反応でした。
「筋肉って、こんなに健気で愛おしい存在だったんだ」 そう感じるようになってから、手から伝わる情報も変わり、身体の変化も確実に、局所と全身の調和が取れるように変化するようになったのです。
この経験が、私の臨床のあり方を根本から変えてくれました。 施術は、ただのテクニックではなく、「心のあり方」そのものだったのです。
(この学びを大切にしているからこそ、この講座では、“評価や触察の中で、体のメッセージを読み取る感覚”を、実践を通して体感していただけるようにしています。)
ライフステージの変化―仕事と家庭の両立に苦しむ
(1年で2件全く異なる題材で研究した年。顔も浮腫みパンパン。学会発表終了後めまい症へ)
結婚後も、私は全力で臨床に向き合い続けていました。
仕事が終わったあと、一度帰宅して夕食を作り、また病院に戻って研究のデータを取り、深夜までパソコン作業。3〜4時に就寝する日も珍しくありませんでした。
(リハビリ業務後に必死の研究データ入力。私の背中はカチコチ)
日常業務に加え、研究発表、研修、家事とすべてをこなそうと必死になっていたある日──朝、目が覚めて起き上がろうとした瞬間、世界がグルグルと回って立ち上がれなくなりました。
診断は、「突発性頭位めまい症」。
吐き気とめまいで寝たきりの数日間を過ごしながら、
「体力の低下を感じている中、病院の階段を駆け廻わってリハビリを行い、帰宅後休む間もなく家事。それにもし子どもができたら…」と思った時、
「私には、この働き方無理だ」「これまで積み上げてきたもの全てなくすかも…」と不安になりました。
あのとき、かつて先輩女性療法士が言っていた言葉が思い出されました。
「2 人目ができたら、もう続けられない。辞めるしかないと思う」 その言葉が、今になってリアルに胸に刺さってきました。
「私の理学療法士人生、どうしよう…?」
ピラティスとの出会いー新たな扉が開く
(PLC:ピラティスリーダーシップコンセプト・マリジョゼのコース全課程修了)
その頃の私は、肩の可動域制限に悩む患者様と向き合いながら、肩関節と全身との繋がりを必死に探していました。
そして、根本改善のカギは—胸郭を、体幹のインナーユニットを使って動かせるようになること。
そう気づいた私は、試行錯誤を重ねながらある一つの答えにたどり着きました。
それが、『ピラティス』でした。
ピラティスの魅力は、インナーユニットを活性化させ、呼吸に合わせて胸郭や背骨をしなやかに動かすこと。体の内側から動きの質を変えていけること。
実際にリハビリに取り入れてみると、それまで改善が難しかった肩の痛みや動きが、変わっていくのを目の当たりにしました。四肢の余計な力が抜け、関節の可動域が自然に広がり、患者様の心身の緊張がやわらいでいく。ピラティス後の肩の施術中にウトウトと眠ってしまう方も多く、驚きつつも、痛みの出ない施術が出来るようになったことに心の底から嬉しく安堵しました。
さらに驚いたのは、リハビリ後よりも「次回来院時」の方が身体の状態が良くなっているケースが多く出てきたことでした。ピラティスによって、リハビリの外でも良い使い方が自然と出来るようになっていたのです。
私自身の体と心にも大きな変化が訪れました。
なんと、かつての腰・膝・股関節の痛みが無くなり、高校時代に諦めた「全力疾走」が、ピラティスを通して再びできるようになったのです。痛みの不安なく地面を蹴り、風を感じながら走る。あの瞬間の感動は忘れられません。
また、心にも変化がありました。コースが進む中で、背中(胸椎・胸郭)がなかなか改善しない私に視線を送り、マリジョセは言葉を選び静かに伝えてくれました。「ちょっとこれを言うのには気を付けないといけないのだけれど…。胸椎や胸郭の硬さは、心とも関わっているの。逃走・闘争モードのままだと、この部分は柔らかくならないのよ。胸を開いて、“私、悩んでるの~”なんて、普通は言わないでしょう?」
その一言で、私は気づきました。ずっと抱えていた「運動への恐怖」や「自分への否定感」。そして、自分の心が傷つかないように、体を固め、闘争心で自分を守ってきたこと──。
それに気づいた途端、心と体を覆っていた鎧が、そっと一枚ずつ外れていく感覚がありました。そして、胸椎が動き出したとき、私の視界も、人との関わり方も、穏やかで温かいものへと変わっていったのです。
「ピラティスは、体だけでなく心も整えてくれる」
ピラティスの恩師・マリジョゼの教えの深さを、心から確信した私は、「この素晴らしさを、もっと多くの人に伝えたい」と心から思うようになったのです。
(最終日、愛をもって心身の変化を導いてくれたマリジョゼと♡感謝の涙と笑顔が溢れました)
私が開業を決意した瞬間—私らしい働き方を求めて
(福岡の自宅マンション一室で始めたスタジオ。自分で床材を貼って内装)
ピラティスを通して、自身に耳を傾ける日々が増えてきた頃。実は、私の中に「いつかは開業してみたい」という願いがずっと心の片隅にあったことを自覚しました。尊敬する凄腕の理学療法士たちが開業している姿を見て、いつか私も…という憧れを密かに持っていたのです。
けれど、その想いを「いつか」のまま、そっと心の奥にしまっているだけでした。
そんな私に現実の一歩を踏み出させてくれたのは、たまたまフォローに入った女性患者様の一言でした。
「あなたのピラティスをもっと受けたい!開業して!」と、何度もお願いされたのです。
最初は驚きと戸惑いがありました。
でもその言葉と、日々の臨床の中で、本物の笑顔でお喜びくださる患者様が以前よりも圧倒的に増えていたこと、
そのふたつが重なって、私の中で「今がその時だ」と腹をくくるような感覚が芽生えました。
病院でのリハビリは、診療報酬の関係から、初診から6ヵ月を過ぎるとリハビリが継続しづらくなり、十分な時間をかけられず、電気治療だけになってしまうこともあります。
また、患部しか触らないようにという医師の方針や、「いろいろされるとフォローに入ったときに困る」と上司に言われたこともありました。
さらに、慢性痛を抱える方に、施術だけでなくピラティスも組み合わせて根本的に改善するには、病院での1回20〜30分の枠では私にはどうしても足りなかった。
あと…実は、理学療法士のお給料は、国が定めた診療報酬によるため、給料もボーナスも低いまま上がりません。研修費にかなりのお金を掛けていた私は、一人暮らしの時は金銭的に厳しくなると、夕食を患者様に頂いたお菓子だけや、卵掛けご飯と魚肉ソーセージだけで済ましていました。職場の先輩も、健康診断で毎年栄養不足と判定されると言っていました。私も当時は貧血で、病院の全体朝礼で倒れたこともありました。
体をボロボロにしながら臨床力を上げてきた私は、心身ともに既に限界に来ていたのです。
心身にもっと余裕を持ちながら、「本当に届けたいケアを、誰にも遠慮せず、思いきり届けられる場所をつくりたい」
その想いが日に日に強くなり、私は、開業を決意。
自宅マンションの一室を整えて、小さなピラティススタジオをオープン。
クライアント様一人ひとりとじっくり向き合える時間と空間を持てたことで、臨床の質も、自分の心のゆとりも、大きく変わっていきました。
開業して見えた、私の“理想の理学療法士人生”
(マルル福岡店のクライアント様とのツーショット写真)
福岡で開業した私の小さなスタジオは、ありがたいことに、自作のホームページと紹介にてオープンからわずか 3 ヶ月で 満席になりました。
病院勤務の頃より収入も安定し、何より嬉しかったのは、施術もピラティスも、時間に追われることなく、目の前 のクライアント様と丁寧に向き合えることでした。
それは、病院勤務では叶わなかった、私が本当にやりたかった理想のスタイルでした。
「やっと信頼して身体を任せられる場所に出会えました」「何十年と悩んでいた痛みが、ここに来てなくなりました」
そんな言葉をいただけるたびに、私の心は満たされ、「この選択をして本当によか った」と思える毎日でした。
さらに、スケジュールを自由に組め、家庭やプライベートの時間も大切にできるようになり、これまで「仕方ない」と諦めてきたことも自分で選び取れるようになったのです。
(自分時間を持てて、大好きな海でリフレッシュ♪平日に旅行も行けるように!)
“仕事・家庭・自分の時間”——そのすべてをバランス良く大切にできる働き方。
自分の信じる道を、自分のペースで、妥協なく進められる。
それこそが、私の「理想の理学療法士人生」だと思いました。
東京への引越し・妊娠・出産と、再スタート
(初めての育児と睡眠不足に大奮闘。子供と自分のペースで臨床と育児の両立を行えた)
福岡で軌道に乗っていたのも束の間、夫の転勤で、東京への引越しが決まります。
築き上げてきたスタジオを手放す不安と、慣れ親しんだ土地を離れる寂しさ…。でも、「私のやりたいことは、場所が変わっても変わらない」と再スタートを決意しました。
ところが、引越し直後に妊娠がわかり、つわりと体調の不安定さもあり、しばらくは臨床を休み、出産と育児に専念する日々に。
それでも、子供が生後8ヶ月を迎えた頃、「臨床がしたい!!」という想いがあふれてきました。
夫の休日に子どもを預けながら急ピッチで準備を進め、自宅の一室を整え、ホームページを立ち上げ直し、東京練馬区でもスタジオを再開。
(自宅感を消して練馬区マンションの1室で再開!後に壁紙が気になり自力で白に変更)
赤ちゃんをおんぶしながらチラシを配ったり、早朝にポスティングしたり…まさにゼロからのスタートでした。
それでも少しずつお客様が来てくださるようになるも、1年半というブランクは想像以上に大きく、臨床の勘が戻らず、焦る日々。
そこで、非常勤の時短勤務として、病院のリハビリに週1~2日携わらせて頂きながら、スタジオではじっくりと個別対応へと切り替えることに。
地道に臨床力を取り戻す努力を重ねながら、家族の時間も大切にできた働き方は、私たち家族にとって安心感と満足感のある生活にしてくれました。
平日も、手作りのご飯を作り、保育園帰りには公園でたっぷり遊ぶ。
公園で寝転び、空を見上げながら子どもと話す何気ない時間──
平日の行事も全て参加し、息子の成長を真近に見れた日々──
(保育園帰りの公園遊びや行事の宝物の写真)
もう二度と戻らない小さい息子と、たくさんの時間を共に過ごせ、成長を見守れたことは、私にとって一生の宝物となっています。
「開業して本当によかった」
心からそう思えた、あの日の空の色と、キラキラした表情で小さな手で雲を指さす可愛い息子の姿を、今でも忘れられません。
(この時の息子の表情、空の綺麗さ、私の感情は忘れられない)
根本改善の核―”筋膜調整×ピラティス”
(筋膜調整で、改善できなかった不調も根本改善できるように♪)
東京で再スタートを切って以降、クライアント様に真剣に向き合う中で、私はひとつの壁にぶつかっていました。
ピラティスや施術を行っても、なかなか改善しない方がいる。特に、自律神経症状がある方は、深い呼吸が入らず、良くなってもすぐ戻ってしまうことが多かったのです。
「もっと深く、違うアプローチが必要だ」
そう感じた私は、筋膜調整に挑戦する決意を固めました。
以前、肩の患者様を悪化させてしまった経験から、痛みを伴う施術は絶対に行わないと決めていました。しかし、以前受講していたばね指・腱鞘炎改善の講座で筋膜調整の効果を実感していたこと、
さらに高校時代、足底筋膜炎を劇的に改善してくれた治療家も、今思えば筋膜調整をしてくれていたと気づき、
「取り入れてやってみよう」と腹をくくったのです。
そこで私は、自律神経ケアの筋膜調整にも特化した講座(自律神経ケアセラピストJMF養成講座)を受講し、4ヵ月の学びを経て、クライアントの身体に明らかな変化が現れ始めました。自律神経症状の改善と共に、インナーユニットの内の1つの筋が働きを取り戻しやすくなっていたのです。
それを機に、私は筋膜調整にのめり込みました。私が最も重要視していた呼吸とインナーユニットの根本改善を目指し、独自の評価法と調整箇所を構築。以前は難しかったケースでも、筋膜調整を取り入れる事で呼吸筋含む全てのインナーユニットの収縮が改善するようになったのです。
また、ピラティスと掛け合わせたことで、施術の効果は戻らず安定し、呼吸と体幹のインナーユニットの改善スピードが大幅に向上しました。
あれほど何年も苦しんでいた方が、イキイキとした笑顔に変わってゆき、症状のことをお聞きしても、「そういえば、最近気にならなくなっています!」と驚きと喜びの表情で話される──そんな瞬間がどんどん増えていったのです。
筋膜調整×ピラティス。
この2つの掛け合わせを通して、“身体の奥底から変われる感動”を、症状にお困りの方へ一人でも多く届けていきたい。
その想いが、今の私の核になっています。
『伝える覚悟』と講座の誕生
(ご依頼を頂いた時のみ開催していた同業者向け単発オンライン講習)
東京での集客は、競合が多く、土地勘も知り合いもいない中でのゼロスタート。難航する中、子供が幼稚園に上がるタイミングで西東京市の一軒家を購入。引越し後、1階をスタジオに整え再スタートしました。
(西東京市一軒家の1階をスタジオにして再開。マットピラティスと簡易ベッドにて)
そして、本格始動しようと補助金を申請し、無事に採択。その資金で、チラシ作成・ポスティング、看板とホームページのリニューアルを専門業者に依頼。同時に、自身でもホームページをコツコツ修正し続け、“地域の方々へ心を込めて届けられる仕組み”を整えました。
すると、そのチラシがきっかけとなり、一気にご予約が増加。あっという間に満席となり、非常勤勤務も退職。スタジオでの施術に専念するようになりました。
常に初回の体験をお待ちいただく状態が続き、ある時ふと立ち止まって思ったのです。
「お待ち頂いている間に、もっと悪くなるかもしれない」
慢性痛は、高校時代の私のように、放っておくほどに心にも影響し、そのストレスがまた体に現れ、悪循環を招きかねません。
「このまま歩けなくなるのでは…」そんな不安に心を蝕まれながら、日々を過ごされているかもしれない。そして、そのような方は、もっとたくさんいるはず。
けれど、私ひとりでは限界があります。届けたい想いがあっても、手が届かない現実。
そのもどかしさが、私の中でひとつの決意を生みました。
私が時間をかけて学び、悩み、実践を重ねてたどり着いた“根本改善の技術と考え方”。
そして、開業を通して得た“自分らしく生きる働き方”。
それを、同じように「症状にお困りの方の力になりたい」と願う女性理学療法士に届けたい。
そんな想いから、
私は『慢性痛根本改善セラピスト養成講座』と『リスクゼロから始める開業講座』を立ち上げることにしました。
しかし、実は、この講座作りの一歩を踏み出すのには、約1年半掛かりました。
その理由は、正解のない体の世界で、体系立てて伝える事が難しかったこと。そして、上には上がいるセラピストの世界の中で、私なんかが…と心に無意識にブレーキが掛かること。
しかし、そんな私に勇気をくれたのは、昔から依頼があった時にだけ開講していた同業者向け単発講習で頂戴した、受講者様の声(アンケート)でした。
「的場さんの講義は毎回得るものが多いです。現場レベルの評価とか問診や治療の考え方が知れるので、とても活用しやすいです。僕が病院でもしっかり患者さん治せるようになったのも的場さんの講義受けてからです。(理学療法士10年目)」
「すごいボリュームの資料を使いながら分かりやすく講義をして頂きました。なぜ、どのようにして、が明確で、すぐに現場で活用できる考え方や実技を学べました。(理学療法士17年目)」
「肩関節について基本から応用部分まで丁寧にお話ししていただけてとても勉強になりました。実技を交えながら、疑問点をすぐに確認することができ、楽しみながら講習を受けることができました。距離が近くて話しやすい雰囲気がすごく良かったです。また、的場さんの作成していただいた資料、講義での指導方法について参考になる部分がとても多く、今後私も見習いたいと思いました。(作業療法士14年目)」
「局所の評価だけでなく、全身の評価方法が非常に勉強になりました。的場さんとお話しさせて頂くと、刺激になり臨床に対する意欲が高まります。(理学療法士5年目)」
「どのような質問に対しても、汲み取って分かり易く説明して頂き、分かりやすかったです。資料も、とても分り易く、解剖が苦手な私にも理解しやすい内容でした。実技についても、把持の仕方を優しく丁寧に、できるまで教えて頂けて良かったです。(作業療法士1年目)」
「とても勉強になりました!長年の経験から病態整理をしっかりと臨床で活かせるところまで昇華して自分の物にしている所はさすがでした。実践して培ってきた知識なので他と違いますね。再現性を見てみることや問診からどう考えるのか、上肢の考え方などなどがとてもためになったのでまだまだ聞きたいです!リハビリ職種は絶対受けた方が良いです。(理学療法士17年目)」
受講者様から頂いたアンケートの数々を見返し、本当に勇気を頂きました。私の大切な宝物です。
こうして、1年半ずっと温めてきた私の想い――同じ想いを持った女性セラピストがつながり、支え合いながら、それぞれの地域で「慢性痛ゼロ社会」の実現を目指していく――講座作りを始めました。
一人では届かない未来も、仲間とならきっと届けられる。
そう信じて、私は次のステージへと進み出したのです。
セラピストと共に高め合える学びの場
(ご依頼頂き開催した肩関節の対面講習。大好きな臨床を伝えられる幸せを実感)
私が講座で何よりも大切にしているのは、「確実に身につき、臨床で使える知識と技術にすること」「質問し易いフラットな関係」です。
内容は素晴らしくても、その場限りで終わってしまい、結果に結びつかないことも少なくありませんでした。
また、質疑応答の時間がなかったり、講師によっては質問しづらく、消化不良になることもありました。
だからこそ、「すぐに臨床で使える」「現場で結果を出せる」構成と仕組み、
受講者がアウトプットしやすく「面白い!」と感じられる「フラットな関係」の場作りにこだわっています。
もちろん、身体に“絶対の正解”はありません。けれど、重力下に生きていること、筋肉に受容器があること、インナーマッスルとアウターマッスルに役割の違いがあることなど、身体の原理原則は普遍です。
そのような変わらない“体の原理原則”に基づいて構築されたのが、当講座です。
私は、自身の臨床で積み重ねてきた思考のプロセスや身体の見方、在り方を、丁寧に言葉にしてお伝えしています。 そして、それを受け取った皆様が、自分自身の技術や感性と掛け合わせて、独自の視点と して育てていけるように願っています。
また、講座は学びの場であると同時に、「仲間とつながれる場」でもあります。
職場ではなかなか話せない悩みや、ちょっとしたモヤモヤも、安心して言葉にできる場所。
同じ想いを持つ仲間とつながり、励まし合える時間が、学びを何倍にも深めてくれます。
受講期間が終わってからも、復習会・実践練習・相談会・お茶会などを継続して開催し、自分のペースで確実に学び続けられるつながりを大事にしています。
あなたの中にある「大切にしたい臨床」や「こう在りたい自分」を、誰かと比べず、あなたらしく育てていける場所。
そして、「ここに来ると、また頑張ろうって思える」
そんな場所でありたいのです。
本当に届けたいケアを、自分らしく―仲間と描く、女性理学療法士の新しい生き方
私はいつも思うのです。「もっとこうしたら、この方は楽になるかもしれない」「この症状には、この順番でこうアプローチしたい」──
そう感じたときに、自分の信じた方法で、心ゆくまで関われる場所があること。それが、どれほど幸せなことかを、今、深く実感しています。
施術の順番も時間配分も、すべて自分で選べる。必要だと感じたら、施術とピラティス、筋膜調整を自由に組み合わせることができる。クライアントの「本当の困りごと」に寄り添うことに、制限がない。
その自由さが、私にとっては“一人ひとりに本気で向き合える、かけがえのない環境”になりました。
「やっと信頼できる人に出会えました」 「ずっと悩んでいたのが嘘みたいに楽になりました」 そんな言葉をいただけるセッションが、ひとつ、またひとつと増えていくたびに、 「私が届けたかったのは、こういうケアだった」と、心から思えるのです。
だから私は、同じように“本当に届けたいケア”を自分らしく届けたいと願うセラピスト仲間を増やしていきたい。
慢性痛に対応できる確かな技術と、ライフステージに合わせて技術と想いを自由に発揮できる、自分だけのスタジオ・サロンを持つ。
そんなセラピストが増えていったら、
きっと慢性痛で苦しむ人は、もっともっと減っていくはずです。
「慢性痛ゼロ」の未来を一緒に
(慢性痛で苦しむ方が笑顔に変わる瞬間に立ち会う幸せ)
このビジョンストーリーを、ここまで読んでくださったあなたへ。心から感謝申し上げます。
私がここまで歩んでこられたのは、痛みに悩んだ自分自身の経験、たくさんの先人の知恵とあたたかな教え、やりたいことを存分に学べる環境にしてくれた家族と職場、そして何より、携わらせて頂いた全ての患者様・クライアント様から頂いた学びがあったからです。
そのお陰で私は、“自分の信じた方法で、妥協なく寄り添える働き方” “自分の人生を、自分でデザインしていける選択肢”この2つにたどり着く事ができました。
自分の「理学療法士人生」が助けられたように、今度は誰かの力になることで、少しでも恩返しができたら…そう心から願っています。
もちろん、開業も、臨床も、楽なことばかりではありません。でも、同じ想いを持つ仲間とつながっていれば、どんな困難も乗り越えられると、私は信じています。
もしあなたが今、
「症状に悩む方の力になりたい」、「家庭や自分の時間も大切にしながら、臨床をイキイキと続けていきたい」
そう思っているならば、その想いが、未来を変える一歩になります。
本当に届けたいケアを、妥協なく届けられる働き方を。
クライアントの笑顔、そしてあなた自身の笑顔に出会える道のりを、私がしっかり伴走させて頂き、共に歩んでいけたら嬉しいです。
”子育てや家庭を大切にしながらも、好きな臨床を妥協しない。”
そんな生き方を選ぶ女性セラピストが、これからもっと増えていくと信じています。
「慢性痛で苦しむ方が笑顔に変わること」と、
「どのライフステージでもあなたがあなたらしく輝ける未来」を、ぜひ一緒に描いていきましょう!
最後までお読み頂きまして、誠にありがとうございました!!マルルー🌴!!(タヒチ語でありがとうー!!)